ホントどうでもいい系の小言を書きます。 Workation (Work + Vacation)という言葉がありますが、これって理念としては決して雇用側ないしは非雇用側のどちらかが目に見えた得をするものではなくて、非雇用側が「仕事の中に余裕を持った仕事外視点の楽しみ方を織り込む努力をする」ことと雇用側が「非雇用側がそれをするために実務上のFlexibilityを可能な範囲で織り込む努力をする」ことを合わせたものなのかなと僕は個人的に思います。結果として仕事における「楽しみ方」の幅が生まれ離職率が下がり非雇用側にとって「人生が豊かになる」手助けとなる、といううのが目的なんだと個人的に思っています。つまり、双方がこの目的を理解したうえで取り組まなければ意味はなく、例えば非雇用側が「これは福利厚生の一部として雇用側からもらうものであり、こちらが何かをするものではない」と考えるならそもそもこんなこと最初からやらなければいいと、そう思います。 Diversityという言葉がありかなり幅広い意味を持っていますが、その一つとして「古い慣習や過去の事例にとらわれず、もしかすると今意見をしてくれている新人の言葉の中にも仕事を改善するヒントがあるかもしれない」と思えるかどうかなんてのがあると個人的に思います。すべての仕事に存在する「個人の裁量」部分を駆使して自分の経験してきたことや文化慣習に都合のいい解釈ばかりで相手を否定したり、改善チャンスを意図的に避けることで業務、部門、果ては会社そのものが腐敗していくことを防ぐための理念だと個人的に思います。一人一人が相手に対するリスペクトを少し持つだけでいいわけで、年功序列とか経験の差だとかの足かせから心を解放する理念は企業なりにいる一人一人が認識と再認識を繰り返すべき内容だと僕は個人的に思います。 相手を否定するなら自分が否定される覚悟をもってやるべきだと僕は個人的に思います。自分が否定されたときに腹を立てたり、すべての仕事に存在する「個人の裁量」部分を駆使して相手にやり返す(もしくはいじめを行う)ようなことをする人に、相手を否定する権利なんてそもそも最初からないと僕は個人的に思います。本来、否定するならターゲットは仕事であって、人ではないのが僕は常識だと思っていますが、それでもどうしても人を否定したり指摘したいならそれ相応の覚悟と普段からの行いをもって初めて実行するようにしてほしいと個人的に思います。つまり、相手から名指しで指摘されたり否定されたくないなら、最初から他人に対してもしなければいいのです。仕事を指摘する形で進めれば人と人の心の摩擦なんて最初から生まれないし、人を指摘したり否定する必要なんてそもそも仕事という環境において不要なことだと僕は個人的に思います。
#
by Alfred_61
| 2023-11-23 20:22
| 日記
豚バラ肉ってのは何としても美味しいお肉で、しかもちゃんと選べば割と安めに変えるという。たぶん肉の部位以外はパンチェッタと同じ作り方なのかな?(知らんけど) 材料: 豚バラブロック - 可能であれば小さいものではなく大きな塊がベター。僕は900gくらいの塊を3等分くらいで使用。 塩 - 好みだがそこそこ塩分があるほうが日持ちする。900gの肉に対して90gくらいかな・・・目分量でやるので不確か。 作り方: 1.2重にしたビニール袋に肉を入れる 2.塩を肉にまんべんなくまぶす 割と気にせず手で 3.しっかり封をして冷蔵庫で2日間置く 途中で一回上下をひっくり返す 4.肉と袋内に出た水分をすべて寸胴鍋に入れ、ひたひたになるまで冷たい目の水を張る 夏場は氷をいれておく そのまま24時間ほど放置 5.肉を水から出してキッチンペーパーなどでよく水気を拭く 6.100均などにある網的なものの上に乗せ、空気が通るようにして冷蔵庫で最低2週間放置 時々上下をひっくり返す 7.完成 食べ方ルール: 必ず薄切りなどにしてよく火を通して食べましょう。 お勧めの食べ方: 上記ポイントから、スパゲティーの具や煮込む系がおすすめ。もちろんおつまみとして焼いて食べるだけや、ハムエッグのハム替わりでも美味しい。 個人的にこれを使ってよく作る料理: - カルツォーネ → この肉+キノコ+玉ねぎ+チーズ、で具にする - レンズ豆のスープ → この肉+玉ねぎ+トマト缶+レンズ豆、で作る(十分うま味が出る) - カルボナーラ → この肉+ペコリーノロマーノ+卵、だけでソースにする - 手作りラーメンのチャーシュー替わり → 素朴な味なので基本どんな香辛料にも合う - スープカレー → この肉でかなりうま味が出る 大抵は作っても1カ月以内に食べたくて消費してしまいますが、たぶん最長で2カ月弱くらいまで食べたことはあります。冷蔵庫に放置する時間が長くなると結局からっからに渇いてしまって硬くて包丁が通らなくなるので、ほどほどに柔らかい間に食べてしまうことが多いです。硬くなってしまったらスープにすればうま味もより出るし、肉も柔らかくなります。 業務用スーパーなどで100gが100円以下のものなど買ってきてしょっちゅう作ります。冷蔵庫にこれがなくなると不安になるくらい生活の一部になっていて、急いで晩御飯をやっつけで作る時などにとてつもなく有用。ちなみに、この基本レシピを途中から切り替えてベーコンも作れます。(6.のところで冷蔵庫放置1日後に燻製するだけ)
#
by Alfred_61
| 2023-11-19 13:45
| レシピ
全くもって、完全的に個人的な印象で書きます。ベートーヴェンって、演奏する人のことを考えて曲を書いている場合がありますよね。そりゃあモノによってはそういうこと考えてない曲も沢山ありますが、演奏する人が無理しなくても弾けるような曲を意図的に書いている場合があると僕は思います。 実際に初心者用の練習曲なんかに、意外とベートーヴェンは出てきますよね。旅商人とかエリーゼのためにとか。個人的にはこのポイントってベートーヴェンという作曲家を語る上で欠かせないポイントだと思っています。ベートーヴェンが、実際に曲になったもの以外に数多受信したインスピレーションの中から、そもそも曲にしようと選んだポイントとしてもちろん一般的な新しさ、気着心地の良さなど色々ありますがその中に「演奏者がそれほど"苦労"しなくても弾けるもの」というものがあることは、僕は曲を聴いていても弾いていても感じます。 自分の作曲で明らかに昔、特にインディアナ大学で勉強していた頃とは違う部分がここです。今は、ベートーヴェンの気持ちがわかります。例えばインスピレーションが3つ並んでいるとしましょう。昔の自分だとそもそも3つを並べる前に1つを疑問もなく選んでさっさと先へ進んでいたでしょうが、今はその中で、そこまで専門的には分からない楽器であっても自分の経験から考えて明らかにそこまでの技巧が必要ではないけれども、音楽の核となる要素が表現できるインスピレーションを意図的に選ぶようになりました。 個人的にベートーヴェンという作曲家に対して持っている印象は、「ある程度誰が弾いても60点くらいの演奏ができる曲を書いてくれる作曲家」です。モーツァルトと比べて明らかに違うのがここですかね・・・。モーツァルトの音楽に上記の成分は非常に少ないです。モーツァルトの曲には1音間違えると致命的になるものが多いですが、ベートーヴェンの曲はそうでないものが意外とあります。今の時代は演奏者のレベルが高いので、まあ曲を弾く以上間違えないのは大前提ですが、そうは言っても曲って練習していく過程では間違いもしますよね。練習段階が終わらないと本当の楽しみが得られないのがモーツァルト、演奏段階からある程度楽しいのがベートーヴェン、という感じですかね。 もちろん、それは音楽としての良い悪いとは全く別です。これからの時代の作曲家として何を選ぶかも、完全に個人の自由です。何を選ぶかが「正解」ということはありません。どちらを選んだから「いい音楽になる」かということにも全く繋がりません。ただ、曲を作る側の意識としてどういった道を選択するかは、作曲家個人個人がきちんと考えなければいけないことだと僕は思います。僕が思う最も避けるべきはEasy Decision Making=安直な決断だと思います。考えないこと、知らないこと、はそのまま曲として残りますから、たぶんVareseなんかも感じたであろう恥にも繋がります。まあ、自分としても、そういうことを作曲を学ぶ以上最初に誰かに教えてほしかったと、今となれば思いますが。
#
by Alfred_61
| 2023-11-12 22:36
| 音の考察
年を取ってくると余計にこの縁とタイミングについて考えることが多くなります。例えばたま~にしか会わない友人と会う予定を立てるとき、その時には1週間後でと約束をするのですが、実際前日くらいになると特に大きな理由もないのですが「自分が行くべきではないのではないか」と思える状況になったりするのです。それこそ、若いころだと特に誰からというわけでもなく予定が決まって、特に自分が意識することもなくそれに参加していたりしたのですが。 縁とは自分ではコントロールできない大きな運命の流れのようなもの、と英語で友達によく説明していましたが、本当にそうだと思います。それの流れに乗っているときには、例え一般的には困難に類する物事でさえも誰も必死にならずとも自然とそうなってしまうのです。逆にその流れがないときにそれに憧れて必死になったからといって歪な結果にしかならなかったり、横で流れに乗って労せず手に入れる人たちを羨んだりするのです。 なんというか、この流れを意識するような歳になった以上、たぶん一般的に言う「わき目も降らず一心不乱に打ち込む」ような人生にはもう戻らないんだろうなと思います。流れが向いていないときに無理をしたところで自分の心を病んでしまうことのほうが多いからです。この流れを意識していなかった頃というのはイコール必死になって頑張る時だということかな、と思います。 ただ、歳を食って変わったことに、この流れを引き寄せられる時がありそれを感覚できるようになったことがあります。もしくは日常の生き方で「こうしていれば流れが来やすい」ポイントがいくつもあることが分かり、それを実践できるようになったこともあります。日々の自分が手繰り寄せている流れに身を任せ、あとは勝手に流れが自分を運んでいくというか、そんな感じです。 そうなってくると物事の価値も色々変わってくるのです。苦労しないと手に入らなかったからこそ憧れたものも、今となっては流れさえあれば手に入るという程度のものにしか見えません。そしてここまでの人生で手に入ってきたもの、今手の中にあるそれらを改めて見返して、社会的価値とは別に自分にとって本当に喜べて感謝できて幸福に思えるものは何なのかを改めて感じ考えることができるようになりました。歳を食うのも悪いことばかりではありません。
#
by Alfred_61
| 2023-11-09 22:32
| 日記
自分の幸せというものは自分が定義したいと、僕はそう思っています。誰かと比べての幸せとか脳死的に受け入れている社会通念などには決められたくない、と僕は思って生きています。結局のところ音楽の世界でもそれは同じで、なので大学を出た後にしても、今にしても自分で選んだ状況にいるのです。その代わり、自分で選んだ以上は後悔したくはないという側面もあります。 僕は「ネームバリュー」というものが嫌いです。 僕は決まった問題を誰が最も沢山正解したかという順位が嫌いです。 僕は伝統に対する盲目な崇拝が嫌いです。 僕は欧米文化特に英語圏に対する盲目の尊敬が嫌いです。 言い換えると、僕自身は他人も社会もそういう目線では見ません。有名であっても同じ人間。決まった問題を誰よりも正解できたからと言ってその試験では測れない部分では落第する可能性がある。伝統はその時々に継承する人の質によって劣化して悪習となっている場合がある。日本語と英語が文法的にかけ離れているから日本人に英語を学ぶことは難しいけれど、それは「違い」でしかなく優劣ではない。 憧れを追うことは成長に繋がるので否定するつもりはありません。ただ、人生において明確な目標に対する憧れは結局のところ外的な物差しになってしまい、それを続けている以上はオリジナリティにつながることはありません。作曲の先生がいたとして、その先生のようになりたいと思って師事を仰ぎ研鑽したとしましょう。でも、もしそれって結局先生も日々成長しているわけで、後出の人間が追いかけて追いつけるかというとやっぱり難しいんですよね。そして、その流れが正とされてしまって劣化したのが近代クラシックだと僕は思っています。 例えば音楽の新しいジャンルを作った人が、誰かを追いかけて音楽をしていたでしょうか。そんなわけないですよね。音楽における目標が、その人にとっては自分オリジナルのものであったから、他とは違う何かを作ることができたわけです。結局、それって生き方の問題ですよね。何をもってそれが自分にとって幸せなのか、というところに戻ってくると僕は思っています。別にコピーバンドが楽しくて音楽を続けることは間違っているわけではありません。そうではなくて、オリジナリティを求めているのにコピーバンドを続けても仕方ないですよね。そういうところですね。
#
by Alfred_61
| 2023-11-03 19:01
| 日記
|
ファン申請 |
||